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残念だが、結論はある

今日、騙し絵と展望台がでてくるミステリーを読んだ。なにかの雑誌に、エッセイだか文学論だか旅行記だかわけわからないのを書いていて、それ以来のお気に入りだから、もう6年近く読んでいる小説家だ。この内容と全く関係がないが、ふっと、ロボットが人を愛せるのか? そんなことを考えていた。

ロボットが人を愛せるのか? それは永遠のテーマだ。また、その答えもない。

ただ残念なことに結論だけは、ずっと以前に出ている。『愛情をもつロボットなら、人はつくることができる。しかし、ロボットが人への愛をもつことはない』と。なぜなら、それはロボット側の問題ではなく、むしろ人間側の問題だからだ。愛情と愛の言葉の意味合いと言換えてもいい。

人の愛情は、相手があるから意味や価値がそこに生まれる。どのような愛情であろうと、相手にとって意味がなければ、それはセクハラかストーカーといった罪悪だし、相手にとって価値がなければ、むしろ危害を及ぼす犯罪ですらある。そんなこと、脳ミソが融けて崩れた愚か者でなければ、誰にだってわかる。愛情は自分だけでは決まらない、相手があって、そちら側で決まるからだ。

しかし、愛は違う。もっと貴く普遍的だ。むしろ相手がどのような者であろうと、遍く与えてさし出す潔さがある。だから愛は、選択をしないし相手によらない。ときどき独り善がりになるのは愛嬌だとしても、そこで、誰かひとりに向けられるのは愛とは呼べない。そのときは名が変わって、それを欲望と呼ぶ。別に、美少女を愛していても何も悪いことはないが、誰かを襲えばそれは欲望だろ? たとえ犯罪者であっても、脳ミソがボルトやナットじゃなければ、それくらいわかる。

つまり、ここが難しい。相手にとって意味がなけれは、それは愛情ではないから、愛情は独占することも、愛情で支配することもできない。できたとすれば、つまりはサービスを受けていることになる。相手が提供し自分が選び、それで成り立つサービスそのものといえる。もしここに愛があったとすれば、それは金で欲望を売買したことになり、そういうサービスを受けたのと、あまり変わらないわけだ。

ロボットが人に愛情を向けることはあるだろう。それを聞くと、なんだかモテナイ男子が、突然現れた気立ての好い美人にモテモテっていう、ふわふわとした話を夢想してしまいそうだが、そうはならない。

もし仮にそのロボットの所有者で、相手をコントロールできるなら、それはプログラムされたサービスと呼ぶものだ。またそれが人への愛であるなら、その男子を相手にすることがない。相手にされないロボットつくってみても、飽きてしまって誰が使うだろうか。そして、その男子へ愛が向けられたときは、それはロボットの欲望だから、美意識か侵略か抹殺か、それがどういった欲望なのかわかったもんじゃない。

というわけで、むしろ人間側に問題があって、ロボットは人を愛せない。つくるのは簡単だろうが、「つくって、それからどうするんだ?」と苦悩が始まって、だから永遠のテーマともいえる。

なぜこんなこと考えたのか、今になると、まるっきりわからない。それが読書の楽しみってもんだ。

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